酔っぱらった頭で考えたこと
ひさしぶりに大学生も行かないような場末の
大衆居酒屋で、飲み放題プランのビールと
銘柄の分からない日本酒、薄いカクテルを飲んだら、
普段と違う世界のまわり方をしてまいった。
ある意味もう若くないな、とか昔は無茶なもん飲んでたな、とか思う。
誰と会うときでもその人を信じようと思っている。
人の裏側を見ようとして神経をすり減らしていたことも
人に裏側を悟られまいとして壁を作ったりしたことも
あるにはあったけれど昔の話。
その人が僕に見せる顔や言葉だけを信じようとしている。
仮にその人に裏があったとしても僕にそれを見せる日まで信じないことにしよう、と。
誰かと深く付き合いたいな、と思えば思うほど、
表だけを信じる事は難しいことだ。
けれど僕は出会う人全てを好きになりたいから信じたいと思う。
「薔薇のない花屋」と「あしたの喜多善男」は
主人公がどちらも善人であるが、大きな違いがあると思う。
そのことは「善である」ことがどういうことなのか、
僕の中に疑問を投げかけるし混乱もする。
大衆居酒屋で、飲み放題プランのビールと
銘柄の分からない日本酒、薄いカクテルを飲んだら、
普段と違う世界のまわり方をしてまいった。
ある意味もう若くないな、とか昔は無茶なもん飲んでたな、とか思う。
誰と会うときでもその人を信じようと思っている。
人の裏側を見ようとして神経をすり減らしていたことも
人に裏側を悟られまいとして壁を作ったりしたことも
あるにはあったけれど昔の話。
その人が僕に見せる顔や言葉だけを信じようとしている。
仮にその人に裏があったとしても僕にそれを見せる日まで信じないことにしよう、と。
誰かと深く付き合いたいな、と思えば思うほど、
表だけを信じる事は難しいことだ。
けれど僕は出会う人全てを好きになりたいから信じたいと思う。
「薔薇のない花屋」と「あしたの喜多善男」は
主人公がどちらも善人であるが、大きな違いがあると思う。
そのことは「善である」ことがどういうことなのか、
僕の中に疑問を投げかけるし混乱もする。
by trash-b
| 2008-02-01 23:45
| 日常